2024年4月1日付で日本航空(JAL)の新会長となった、赤坂祐二さん。
赤坂祐二さん社長就任時には、日本航空(JAL)初の整備部門からの社長誕生として話題になりました。
赤坂祐二さんが代表取締役に就任したのは2018年4月1日で、以降、まさに前代未聞のコロナ禍にトップの立場を務めたことになります。
計り知れないご苦労や尽力があったと思われますよね。
主婦目線としては、「そんなご主人を支えた奥様(妻・嫁)はどんな方なんだろう?」「子供(娘・息子)さんはいる?」と気になります。
他にも「日本航空(JAL)社長の自宅ってどんなだろう?」「特別な経歴がある?」「学歴は?」と改めて疑問が浮かびます。
そこでこの記事では
・赤坂祐二の家族構成(妻・娘)
・赤坂祐二の自宅
・赤坂祐二の経歴
・赤坂祐二の学歴
・赤坂祐二の人柄
についてお伝えします。
赤坂祐二の妻と娘は元CA?家族構成を調査
赤坂祐二さんの家族について調べましたが、赤坂祐二さんによる家族についての発言は見つけることができませんでした。
ですが、結婚した妻との間に娘さんがいることは間違いないようです。
子供さんの人数について断定は出来ませんが、少なくとも妻と娘さんが1人いる家族構成のようです。
妻は元客室乗務員(CA)?名前や年齢は?
赤坂祐二さんの妻の名前や年齢、馴れ初めについても全く情報は見当たりません。
赤坂祐二さんの職業柄、妻も航空関係者?元客室乗務員(CA)?と想像しますが、あくまでも想像の域で真相は掴めませんでした。
ただ、赤坂祐二さんは1962年1月3日生まれで2024年1月時点の年齢は62才です。
一般的に考えると、妻の年齢もそう離れていないのではないかと予想します。
娘は現役客室乗務員(CA)?名前や年齢は?
赤坂祐二さんの娘さんに関しても、名前や年齢を知る事は出来ませんでした。
ですが、娘さんは日本航空(JAL)の客室乗務員(CA)をされているようです。
赤坂祐二社長と大川順子副会長の娘がJALのCAなのは社内では周知の事実
引用元:Business Journal
父親の職業柄、娘さんにとっても幼い頃から飛行機は身近な存在だったでしょうし、客室乗務員(CA)に憧れるのは自然な流れだったかもしれませんね。
引用元の記事は2023年2月17日に更新されていましたが、過去形ではなく『JALのCA』と言い切っていることから、2024年現在も娘さんは現役の客室乗務員(CA)の可能性が高いと思われます。
赤坂祐二さんの年齢から推測すると、娘さんの年齢は30才を超えられている可能性もあり、キャリアを積んだ先輩CAさんなのではないでしょうか。
赤坂祐二の自宅はどこ?豪邸なのか気になる!
日本航空(JAL)の社長さんともなると、どんなご自宅にお住まいなのかも気になりますよね。
ですが、こちらもセキュリティの面からも当然公表されておらず、赤坂祐二さんの自宅が豪邸かどうかは不明です。
ただ、場所については一部情報で『赤坂祐二社長のご自宅は千葉県』と言われているようです。
確証は得られませんでしたが、赤坂祐二さんが整備部門出身なことを考慮すると、当時の勤務地が空港のある東京や千葉だった可能性は高そうです。
その関係で千葉県に自宅を設けられたとも考えられますね。
赤坂祐二の経歴は整備部門から社長へ!
赤坂祐二さんの経歴をご紹介します。
1987年4月 | 日本航空 入社 |
2009年4月 | 日本航空 安全推進本部部長(兼)ご被災者相談部長 |
2014年4月 | 日本航空 執行役員 整備本部長、株式会社JALエンジニアリング代表取締役社長 |
2016年4月 | 日本航空 常務執行役員 整備本部長、株式会社JALエンジニアリング代表取締役社長 |
2018年4月 | 日本航空 社長執行役員 |
2018年6月 | 日本航空 代表取締役社長執行役員(現任) |
2019年4⽉ | 日本航空 安全統括管理者(現任) |
2024年4月 | 日本航空 新代表取締役会長に就任予定 |
赤坂祐二さんの日本航空(JAL)入社は、日航機123便・御巣鷹山墜落事故の2年後となる1987年です。
以降37年間、赤坂祐二さんは日本航空と共に在ります。
中学生のときから飛行機の設計士になりたいという夢を描いてきた赤坂祐二さんですが、航空会社に入社し、以降30年間一貫して整備畑を歩んで来られました。
そして、冒頭でお伝えした通り、2018年に日本航空(JAL)初の整備部門からの社長誕生となり、2024年4月には会長に就任となっています。
赤坂祐二の学歴(大学・高校)は?
赤坂祐二さんの学歴(大学・高校)をご紹介します。
出身大学
赤坂祐二さんの学歴(出身大学)は東京大学の航空学科で、1987年には東京大学大学院工学系研究科を修了しています。
前述したように、赤坂祐二さんが飛行機の設計士になりたいという夢を描き出したのは中学時代からでした。
「零戦」を設計した堀越二郎氏に憧れていたこともあり、大学時代の就職希望先には飛行機設計などを手掛ける企業の名前を挙げていたと言います。
そんな中で起こったのが日航機墜落事故です。
赤坂祐二さんは、設計士希望から整備士へと移り変わった当時の思いを次のように語っています。
大学で行われた事故調査を手伝う中で、「こんなことが絶対にあってはいけない」「日本航空は何をやっているんだ」という強い憤りを覚えました。それを契機に、飛行機を設計することはもちろん、飛行機をオペレーションすることの重要性を痛感しています。そうした想いが膨らんだ結果、私は設計士となる夢を絶ち、日本航空の整備士となる決意を固めたのです。
引用元:LEADERS AWARD
大学時代にあのような大事故の事故調査を手伝ったことで受けた衝撃は計り知れません。
そのような経験により整備士と言う仕事の責任を十分自覚したうえで、敢えて整備士の道へと進まれたのですね。
出身高校
赤坂祐二さんは北海道札幌市の出身で、出身高校は札幌北高等学校です。
札幌北高等学校は偏差値70超えの、北海道内の公立高校の中でも1位のランクになります。
そして、赤坂祐二さんは高校時代スキージャンプの選手だったそうで、勉強だけでなく文武両道な高校生活を送っていたことがわかります。
また、スキージャンプと言えば、急斜面のジャンプ台を滑り降りて角度の付いた踏み切り台から空中に飛び出し、その飛距離と姿勢の美しさを競う競技ですよね。
「美しく、遠くへ跳ぶ」ことは、どこか飛行機に通ずる気がします。
赤坂祐二さんにとって『飛行』は、切っても切れない縁がありそうですね。
赤坂祐二の人柄はどんな人?
赤坂祐二さんを知る人は、赤坂祐二さんのことを「とにかく真面目」と語るそうです。
ここまでご紹介してきたことからも、実直なお人柄が伝わります。
加えて、人並外れた責任感を感じるのは、やはり整備士になられた理由を知ったからでしょうか。
赤坂祐二さんの『懸命に仕事と向き合っていくうちに、毎日は想像以上に面白くなっていく』の発言でもわかるように、赤坂祐二さんはどんな状況化の中でも真摯に仕事と向き合って来られた事と思われます。
まとめ
この記事では、2024年4月1付で日本航空(JAL)の新会長に就任した赤坂祐二さんについてお届けし、以下の事がわかりました。
・赤坂祐二の家族構成は妻と娘がいる。
・赤坂祐二の妻の名前や馴れ初め、職業は不明で、年齢は62歳前後(2024年時点)と予想。
・赤坂祐二の娘の名前や年齢は不明だが、日本航空(JAL)の客室乗務員(CA)。
・赤坂祐二の自宅は千葉県にある可能性。
・赤坂祐二の出身大学は東京大学の航空学科で、その後東京大学大学院工学系研究科。
・赤坂祐二の出身高校は札幌北高等学校。
・赤坂祐二は「とにかく真面目」との評判。
赤坂祐二さんの会長としてのご活躍も期待しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント